(と)の道楽日記 (Ver. 2)

 (と)が相変わらず、適当なことを書いています。

ケマル!


アンカラに来た以上、行かないわけには行かない場所。アタテュルク*1廟に行ってきました。アンカラ市内を見渡すことのできる丘の上に、ゆっくりと建てられています。


入り口でX線検査を受け、手荷物を預けていざ、…とはいかず、緑の中を10分ほど歩くと参道が見えてきます。参道ではすれ違った若い軍人さんたちの一人が「コンニチワ!」というのでこちらは「メルハバ!*2」と言うと、軍人さんみんなで「メルハバ!」と答えてくれました(・∀・)。
参道の奥に、やっとアタテュルク廟が見えてきますが、まぁ実に広大で荘厳です。



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アタテュルクのお墓にお参りする前に、まずは2代目大統領イスメット・イニョニュ*3の墓にお参り。
それから、併設されている博物館を見学しましたが、気合いの入り方がハンパぢゃぁありません(^_^;)。じっくり見ていたら、3時間近くかかってしまいました。
アタテュルクの使用していたものもたくさん展示されていましたが、アタテュルクのパジャマとか、ポロシャツとか、プールで泳いでいる写真とか、結構予想外のものが展示されていて楽しめました。蔵書に歴史書が非常に多かったのも印象的。


しかし一番気合いが入っていたのが、第一次世界大戦の時のチャナッカレ海峡(ダーダネルス海峡)攻防戦*4から、大戦後のギリシア・トルコ戦争*5にいたる、トルコ共和国成立までの戦争についての展示の部分でした。
戦場の様子を立体的に復元してみたりと、工夫も凝らされていますが、もちろんギリシアは徹底的に悪役*6ギリシア人はここには絶対来ないのではないでしょうか。
戦後の、アタテュルクによる新トルコの国作りについてもかなりのスペースが割かれていました。


この後、ようやくアタテュルクのお墓にお参りしました。
カフェで一休みした時間も含めると、アタテュルク廟には4時間近く滞在してしまいました。こんなに時間がかかるとは、思ってもみませんでした(;´Д`)。      (と)

*1:念のために書いておきませう。ケマル・アタテュルクトルコ共和国の初代大統領。トルコでは信仰に近いまでの崇敬の対象。

*2:トルコ語で「こんにちわ」の意味。

*3:アタテュルクの右腕だった人物で、アタテュルクが大統領だったときには首相、1938年のアタテュルクの死後に1950年まで大統領。

*4:オスマン帝国がドイツ側についたので、英仏軍がイスタンブールを攻略すべく、チャナッカレ海峡の制圧を目指した。しかしアタテュルクの指揮するオスマン軍を撃破できず撤退。

*5:小アジア半島に侵入したギリシア軍を、アタテュルクが最高指揮官を務めるトルコ軍が迎撃し、激戦の末小アジアからギリシアの勢力を一掃した。

*6:そしてよくある話ではあるが、トルコ側の行った都合の悪いことは多分ほとんど展示していない。